ⅩⅧ|貧しさを試せ

Hoc est quod timebatur?

これが、私があれほど恐れていたものなのか。


十二月である。

町は、まさに今、熱に浮かされている。

贅沢をしてもよいという許可が、世間全体に与えられたようなものだ。

どこもかしこも、大がかりな準備の音で満ちている。

まるでサトゥルナリア祭*1 と、ふつうの仕事の日との間に、何か大きな違いでもあるかのように。

だから私は、こう言った人は間違っていなかったと思う。

 

昔、十二月は一か月だった。

今では、一年になってしまった。

 

もしあなたがここにいたなら、私は喜んで相談しただろう。

こういう時、私たちはどう振る舞うべきなのか。

いつもの生活を、まったく変えずにいるべきなのか。

それとも、世間の習わしに背いているように見えないために、少しだけ陽気に食事をし、トガ*2 を脱ぐべきなのか。

かつて衣服を変えるのは、国家が混乱し、悲しみに沈んでいる時だけだった。

ところが今では、快楽と祭りの日のために、私たちは服を変えるようになった。

 

あなたのことをよく知っているつもりで言えば、もしあなたがこの問題の裁き手なら、こう言っただろう。

私たちは、帽子をかぶった祭りの群衆*3 と、すべてにおいて同じである必要はない。

かといって、すべてにおいて違って見える必要もない。

 

ただし、こうも言える。

むしろこのような日だからこそ、心に命じるべきなのかもしれない。

すべての人が快楽へ倒れ込んでいく時に、ひとりだけ、それを控えるように、と。

心が本当に強いかどうかは、甘く誘い、贅沢へ引きずっていくものに出会った時にわかる。

それへ自分から向かっていかないこと。

それに引きずられもしないこと。

それが、心の強さの確かな証しである。

 

酔い、吐き、騒ぐ民衆の中で、乾いて、醒めて、素面でいることは、たしかに強い。

しかし、もっと節度ある姿もある。

自分だけを切り離さないこと。

自分を目立たせないこと。

群衆に完全に混ざるのでもなく、同じことをしても、同じ仕方ではしないこと。

祭りの日を、贅沢なしに過ごすことはできるのだから。

 

それでも私は、あなたの心の強さを試すことを、ぜひ勧めたい。

だから偉大な人々の教えにならって、私もあなたにこう命じる。

数日を選びなさい。

その間、もっとも少なく、もっとも粗末な食べ物で満足してみなさい。

硬く、粗い服を身につけてみなさい。

そして、自分にこう言いなさい。

 


Hoc est quod timebatur?

これが、私があれほど恐れていたものなのか。


心は、安心のただ中にいる時にこそ、困難へ備えておかなければならない。

運が好意を示している時にこそ、運の攻撃に耐えられるよう、自分を固めておかなければならない。

 

兵士は、平和のただ中でも走る。

敵がいなくても、塹壕を掘る。

必要のない労苦で、自分を疲れさせる。

それは、必要な労苦が来た時に耐えられるようにするためである。

実際の危機の中で慌ててほしくない相手には、危機が来る前に練習させなければならない。

 

毎月、貧しさをまね、ほとんど困窮に近いところまで身を置いた人々がいた。

彼らは、自分が何度も学んだものを、いざという時に恐れないようにしたのである。

 

ただし、私が言っているのは、ティモン風の粗末な宴*4 のことではない。

貧しい人の小部屋をまねた見世物でもない。

富を持て余した贅沢が、退屈しのぎに演じる貧しさの芝居でもない。

寝台は、本当に粗末なものでなければならない。

外套も、本当に粗くなければならない。

パンも、硬く、粗末なものでなければならない。

 

それを三日、四日、時にはもっと長く耐えなさい。

遊びではなく、実験になるように。

そうすれば、私を信じてほしい、ルキリウス。

あなたはわずかな食事で満ち足り、喜びにあふれるだろう。

そして理解するだろう。

心の安心に、運は必要ないのだ、と。

必要を満たすだけのものなら、運が怒っている時でさえ、与えてくれるからである。

 

とはいえ、自分は大したことをしている、などと思ってはいけない。

あなたがすることは、何千、何万の奴隷がしていることだ。

何千、何万の貧しい人々がしていることだ。

ただ一つだけ、あなたが自分を支えてよい点がある。

それは、あなたが強いられてではなく、自分からそれをする、ということだ。

一度、自分から試しておいたことは、いつかそれを受ける時にも、はるかに耐えやすくなる。

 

杭に向かって稽古するように、私たちも訓練しよう。

運に不意を突かれないために、貧しさをなじみのものにしておこう。

貧しくあることが、それほど重いことではないと知っていれば、私たちは、より安全に豊かでいられる。

 

快楽の教師であるエピクロス*5 にも、決まった日があった。

その日、彼はごくわずかな食事で飢えをしずめた。

完全で満ちた快楽から、何かが欠けるのか。

欠けるとしたら、どれほど欠けるのか。

そして、その欠けたものは、大きな労苦を払ってまで埋め合わせる価値があるのか。

それを確かめるためである。

 

少なくとも、彼はポリュアイノス*6 に宛てた手紙の中で、そう語っている。

しかも彼は、自分は一アスにも満たない食費で養われていると誇っている。

ただし、まだそこまで進歩していないメトロドロス*7 には、一アスまるごとが必要なのだ、と。

 

あなたは、そんな食事で満腹があると思うだろうか。

ある。

それどころか、そこには快楽もある。

ただし、それは軽く、逃げやすく、たえず補充しなければならない快楽ではない。

安定した、確かな快楽である。

 

水や麦粥や大麦パンのかけらそのものが、楽しいものだと言っているのではない。

しかし、そういうものからでさえ喜びを受け取れること。

どんな運の不公平にも奪われないところまで、自分を下げておくこと。

そこには、最高の快楽がある。

 

牢獄の食事のほうが、まだましである。

死刑に定められた者でさえ、処刑する者はそこまで粗末には食べさせない。

それほどのところへ、自分の意思で降りていく。

極限の時でさえ恐れる必要のないものを、あらかじめ自分で試しておく。

これは、なんと大きな心の力だろう。

これこそ、運の矢を先に受けておくことである。

 

だから始めなさい、ルキリウス。

こうした人々の習慣に従いなさい。

いくつかの日を定め、自分の持ち物から離れなさい。

最小限のものと、親しくなりなさい。

貧しさと、つき合い始めなさい。

 

あえて富を軽んじなさい、客人よ。

そして、あなた自身をも、神にふさわしい者として形づくりなさい。

 

富を軽んじた者のほかに、神にふさわしい者はいない。

もちろん私は、あなたが富を持つことを禁じているのではない。

私が望んでいるのは、あなたが富を恐れずに持つことである。

それを手に入れる方法は、一つしかない。

富がなくても幸福に生きられると、自分に納得させること。

そして富を、いつか出ていくものとして、いつも眺めておくことである。

 

さて、もう手紙をたたみ始めよう。

あなたは言うだろう。

まずは、借りを返してください、と。

では、エピクロスにあなたを任せよう。

彼から支払いがなされるだろう。

 

Immodica ira gignit insaniam.

度を越した怒りは、狂気を生む。


これがどれほど真実であるか、あなたは知っているはずだ。

奴隷を持ったことがあれば。

敵を持ったことがあれば。

 

怒りは、あらゆる関係の中で燃え上がる。

愛から生まれることもあれば、憎しみから生まれることもある。

真剣な場面でも、冗談の場面でも。

どれほど大きな原因から始まるかではなく、どのような心に届くかが問題なのだ。

 

火と同じである。

大きさではなく、何に落ちるかによる。

どれほど大きな火も、固いものには燃え移らない。

しかし乾いて燃えやすいものは、小さな火花一つを大火へと育てる。

 

そうなのだ、ルキリウス。

巨大な怒りの行き着く先は、狂気である。

だから怒りを避けなければならないのは、節度のためではない。

正気を保つためである。

Vale.


注釈

*1 サトゥルナリア祭:古代ローマで十二月に行われたサトゥルヌス神の祭り。宴会、贈り物、服装や身分秩序の一時的なゆるみを伴った。ここでは、世間全体が浮かれ、贅沢へ傾く象徴として扱われている。

古代ローマのサトゥルナリア祭

*2 トガ:古代ローマ市民の正式な外衣。ここでは、普段の公的な装いを脱ぎ、祭りの服装へ変えることを指す。

*3 帽子をかぶった祭りの群衆:原文では pilleata turba。ピレウス帽は解放奴隷や祭りの自由な雰囲気を連想させる帽子であり、サトゥルナリア祭の解放的で混沌とした空気を象徴している。

*4 ティモン風の粗末な宴:原文では Timoneae cenae。富者が退屈しのぎに粗末さを演出するような食事を指す。セネカは、遊びとしての貧しさではなく、実際の訓練としての簡素さを求めている。

*5 エピクロス:古代ギリシアの哲学者。セネカはストア派でありながら、真実だと思う言葉であればエピクロス派の言葉も柔軟に引用する。この書簡では、快楽を説いたエピクロスでさえ、少ない食事で満足する訓練をしていた例として引かれている。

*6 ポリュアイノス:エピクロス派の人物。セネカは、エピクロスがポリュアイノスへ送った手紙に言及している。なお原文では「カリノスが執政官であった年に」という年代の記述が添えられており、セネカが手紙の日付を意識して引用していることがわかる。

*7 メトロドロス:エピクロスの高弟。ここでは、エピクロスほど進歩していない人物として触れられつつ、それでもごくわずかな食費で足りていた例として挙げられている。

*8 あえて富を軽んじなさい、客人よ:ウェルギリウス『アエネーイス』第8巻より。アルカディアの王エウァンドロスが、アエネーアスを質素な住まいへ迎え入れた際の言葉。セネカはこの一節を、簡素な生き方の模範として引いている。


原典ラテン語

XVIII. SENECA LUCILIO SUO SALUTEM

§1 December est mensis: cum maxime civitas sudat. Ius luxuriae publice datum est; ingenti apparatu sonant omnia, tamquam quicquam inter Saturnalia intersit et dies rerum agendarum; adeo nihil interest ut <non> videatur mihi errasse qui dixit olim mensem Decembrem fuisse, nunc annum.

§2 Si te hic haberem, libenter tecum conferrem quid existimares esse faciendum, utrum nihil ex cotidiana consuetudine movendum an, ne dissidere videremur cum publicis moribus, et hilarius cenandum et exuendam togam. Nam quod fieri nisi in tumultu et tristi tempore civitatis non solebat, voluptatis causa ac festorum dierum vestem mutavimus.

§3 Si te bene novi, arbitri partibus functus nec per omnia nos similes esse pilleatae turbae voluisses nec per omnia dissimiles; nisi forte his maxime diebus animo imperandum est, ut tunc voluptatibus solus abstineat cum in illas omnis turba procubuit; certissimum enim argumentum firmitatis suae capit, si ad blanda et in luxuriam trahentia nec it nec abducitur.

§4 Hoc multo fortius est, ebrio ac vomitante populo siccum ac sobrium esse, illud temperantius, non excerpere se nec insignire nec misceri omnibus et eadem sed non eodem modo facere; licet enim sine luxuria agere festum diem.

§5 Ceterum adeo mihi placet temptare animi tui firmitatem ut e praecepto magnorum virorum tibi quoque praecipiam: interponas aliquot dies quibus contentus minimo ac vilissimo cibo, dura atque horrida veste, dicas tibi ‘hoc est quod timebatur?’

§6 In ipsa securitate animus ad difficilia se praeparet et contra iniurias fortunae inter beneficia firmetur. Miles in media pace decurrit, sine ullo hoste vallum iacit, et supervacuo labore lassatur ut sufficere necessario possit; quem in ipsa re trepidare nolueris, ante rem exerceas. Hoc secuti sunt qui omnibus mensibus paupertatem imitati prope ad inopiam accesserunt, ne umquam expavescerent quod saepe didicissent.

§7 Non est nunc quod existimes me dicere Timoneas cenas et pauperum cellas et quidquid aliud est per quod luxuria divitiarum taedio ludit: grabattus ille verus sit et sagum et panis durus ac sordidus. Hoc triduo et quatriduo fer, interdum pluribus diebus, ut non lusus sit sed experimentum: tunc, mihi crede, Lucili, exultabis dipondio satur et intelleges ad securitatem non opus esse fortuna; hoc enim quod necessitati sat est dabit et irata.

§8 Non est tamen quare tu multum tibi facere videaris – facies enim quod multa milia servorum, multa milia pauperum faciunt -: illo nomine te suspice, quod facies non coactus, quod tam facile erit tibi illud pati semper quam aliquando experiri. Exerceamur ad palum, et ne imparatos fortuna deprehendat, fiat nobis paupertas familiaris; securius divites erimus si scierimus quam non sit grave pauperes esse.

§9 Certos habebat dies ille magister voluptatis Epicurus quibus maligne famem exstingueret, visurus an aliquid deesset ex plena et consummata voluptate, vel quantum deesset, et an dignum quod quis magno labore pensaret. Hoc certe in iis epistulis ait quas scripsit Charino magistratu ad Polyaenum; et quidem gloriatur non toto asse <se> pasci, Metrodorum, qui nondum tantum profecerit, toto.

§10 In hoc tu victu saturitatem putas esse? Et voluptas est; voluptas autem non illa levis et fugax et subinde reficienda, sed stabilis et certa. Non enim iucunda res est aqua et polenta aut frustum hordeacii panis, sed summa voluptas est posse capere etiam ex his voluptatem et ad id se deduxisse quod eripere nulla fortunae iniquitas possit.

§11 Liberaliora alimenta sunt carceris, sepositos ad capitale supplicium non tam anguste qui occisurus est pascit: quanta est animi magnitudo ad id sua sponte descendere quod ne ad extrema quidem decretis timendum sit! hoc est praeoccupare tela fortunae.

§12 Incipe ergo, mi Lucili, sequi horum consuetudinem et aliquos dies destina quibus secedas a tuis rebus minimoque te facias familiarem; incipe cum paupertate habere commercium; aude, hospes, contemnere opes et te quoque dignum finge deo.

§13 Nemo alius est deo dignus quam qui opes contempsit; quarum possessionem tibi non interdico, sed efficere volo ut illas intrepide possideas; quod uno consequeris modo, si te etiam sine illis beate victurum persuaseris tibi, si illas tamquam exituras semper aspexeris.

§14 Sed iam incipiamus epistulam complicare. ‘Prius’ inquis ‘redde quod debes.’ Delegabo te ad Epicurum, ab illo fiet numeratio: ‘immodica ira gignit insaniam’. Hoc quam verum sit necesse est scias, cum habueris et servum et inimicum.

§15 In omnes personas hic exardescit affectus; tam ex amore nascitur quam ex odio, non minus inter seria quam inter lusus et iocos; nec interest ex quam magna causa nascatur sed in qualem perveniat animum. Sic ignis non refert quam magnus sed quo incidat; nam etiam maximum solida non receperunt, rursus arida et corripi facilia scintillam quoque fovent usque in incendium. Ita est, mi Lucili: ingentis irae exitus furor est, et ideo ira vitanda est non moderationis causa sed sanitatis. Vale.