ⅩⅩⅩⅤ|まず自分のもとへ戻れ

Qui amicus est amat; qui amat non utique amicus est.

友である者は愛する。だが、愛する者が必ず友であるとは限らない。


私があなたに、これほど強く学び続けるよう求めるのは、私自身のためでもある。

私は、あなたを友として得たい。

だが、それは、あなたがこれまで始めたとおりに、自分自身を育て続けなければ、私には叶わない。

いま、あなたは私を愛している。

しかし、まだ私の友ではない。

 

「愛することと、友であることは違うのですか。」

違う。

それどころか、二つは同じではない。

友である者は、相手を愛する。

だが、相手を愛する者が、必ず友であるとは限らない。

友情は、つねに相手のためになる。

しかし、愛情は時に、相手を傷つけることさえある。*1

 

だから、ほかに何も理由がなくても、正しく愛することを学ぶために成長しなさい。

私のために成長しているうちに、その学びがほかの誰かのためになってしまわないよう、急いでほしい。

 

私はすでに、その実りを受け取り始めている。

いつか私たちが、一つの心を持つようになる姿を思い描いているからだ。

老いによって私から失われた力が、あなたの力を通して戻ってくるように感じている。

もっとも、私たちの年齢は、それほど大きく離れてはいないのだが。

 

けれど私は、思い描くだけではなく、現実の中でも喜びたい。

愛する人が遠く離れていても、私たちはその人を思うことで喜びを得られる。

だが、その喜びは軽く、すぐに消えてしまう。

 

その人の姿を見ること。

その人がそばにいること。

言葉を交わし、時間を共にすること。

そこには、生きた喜びがある。

とりわけ、ただ会いたかった人を見るだけではなく、そうなってほしいと願った人の姿を見る時には。

 

だから、あなた自身を、大きな贈り物として私のもとへ運んできなさい。

そして、さらに歩みを速めるために、自分も死すべき人間であることを思いなさい。

私が、すでに老いていることも。

 

私のもとへ急ぎなさい。

だが、その前に、あなた自身のもとへ急ぎなさい。

 

前へ進みなさい。

そして何より、自分自身と一致するように努めなさい。*2

 

自分が本当に前へ進んだかを確かめたいなら、今日望んでいるものが、昨日望んでいたものと同じかを見なさい。

意志が次々と変わるのは、心が海の上を漂っている証拠である。

風の向くままに、ある時はこちらへ、次の時には別の場所へと運ばれている。

 

確かに定まり、土台を持つものは、さまよわない。

その不動は、完全な賢者のものである。

だが、すでに成長し、ある程度まで前へ進んだ者も、それに近づくことはできる。

 

では、両者は何が違うのか。

成長の途中にある者は、まだ揺れる。

けれど、流されて別の場所へ移ってしまうことはない。

自分の場所にとどまりながら、揺れている。

完全な賢者は、揺れることさえない。

 

Non vagatur quod fixum atque fundatum est.

確かに定まり、土台を持つものは、さまよわない。

Vale.


注釈

*1 ここでいう「愛情(amor)」は、恋愛だけを指すものではない。好意、親愛、情熱、執着など、人を強く思う感情を広く含む。セネカは愛情そのものを否定しているのではなく、相手の善よりも自分の欲求を優先する愛情は、相手を傷つけることがあると述べている。

*2 「自分自身と一致する(constes tibi)」とは、昨日と今日で考えや計画を一切変えないという意味ではない。何を善とし、どのような人として生きようとするかという根本の意志が、その時々の感情や外からの圧力によって流されないことを指す。


原典ラテン語

XXXV. SENECA LUCILIO SUO SALUTEM

[1] Cum te tam valde rogo ut studeas, meum negotium ago: habere amicum volo, quod contingere mihi, nisi pergis ut coepisti excolere te, non potest. Nunc enim amas me, amicus non es. “Quid ergo? haec inter se diversa sunt?” Immo dissimilia. Qui amicus est amat; qui amat non utique amicus est; itaque amicitia semper prodest, amor aliquando etiam nocet.

[2] Si nihil aliud, ob hoc profice, ut amare discas. Festina ergo dum mihi proficis, ne istuc alteri didiceris. Ego quidem percipio iam fructum, cum mihi fingo uno nos animo futuros et quidquid aetati meae vigoris abscessit, id ad me et tua, quamquam non multum abest, rediturum; sed tamen re quoque ipsa esse laetus volo.

[3] Venit ad nos ex iis quos amamus etiam absentibus gaudium, sed id leve et evanidum: conspectus et praesentia et conversatio habet aliquid vivae voluptatis, utique si non tantum quem velis sed qualem velis videas. Affer itaque te mihi, ingens munus, et quo magis instes, cogita te mortalem esse, me senem.

[4] Propera ad me, sed ad te prius. Profice et ante omnia hoc cura, ut constes tibi. Quotiens experiri voles an aliquid actum sit, observa an eadem hodie velis quae heri: mutatio voluntatis indicat animum natare, aliubi atque aliubi apparere, prout tulit ventus. Non vagatur quod fixum atque fundatum est: istud sapienti perfecto contingit, aliquatenus et proficienti provectoque. Quid ergo interest? Hic commovetur quidem, non tamen transit, sed suo loco nutat; ille ne commovetur quidem. Vale.