Mors de te pronuntiatura est.
死が、あなたという人間にこれから判決を下す。
つい先ごろ、私は老いが目の前に見えてきたと、あなたに話したばかりだった。*1
だが今では、老いさえも後ろに置いてきたのではないかと思っている。
少なくとも、この身体には、もう別の名がふさわしい。
老いとは、疲れた年齢を指すのであって、壊れかけた年齢を指すのではないからだ。
私を、すっかり衰え、終わりに触れている者の中に数えなさい。
それでも私は、あなたを証人として、自分自身に感謝している。
身体には年齢の傷を感じるが、心には感じていないからだ。
老いたのは、私の悪習と、悪習に仕えてきたものだけである。
心はなお健やかで、身体との関わりが少なくなったことを喜んでいる。
心は、自分が背負っていた荷の大半を、すでに下ろしたのだ。
心は跳ねるように喜び、老いについて私に反論する。
今こそ、自分が花開く時なのだと言う。
ならば、その言葉を信じよう。
心には、心の恵みを使わせよう。
心は私に、立ち止まって考えよと命じる。
今の心の静けさと、振る舞いの穏やかさのうち、どれほどを哲学に負っているのか。
どれほどを、ただ年齢に負っているのか。
何ができなくなったのか。
何を、自分から望まなくなったのか。
できなくなったことは、望まなくなったことと同じように扱うつもりでいる。
もともと終わるべきだったものが尽きたのなら、それを嘆く理由はないからだ。
あなたは言うかもしれない。
少しずつ減り、消え、いわば溶けていくことこそ、最大の不幸ではないか、と。
私たちは一撃で倒されるのではない。
少しずつ削られ、一日ごとに、いくらかの力を奪われていく。
だが、自然が結び目をほどき、私たちを本来の終着へ静かに滑らせてくれる以上に、穏やかな終わりがあるだろうか。
突然の一撃や、急に生を去ることが悪いと言うのではない。
ただ、この道はやさしい。
少しずつ退いていく道だからだ。
私は今、試験がすぐそこまで近づいているかのように、自分を見つめている。
これまでのすべての年月に判決を下す日が、すでに来たかのように、自分へ語りかけている。
これまで行いや言葉で示してきたものは、まだ何の証明にもならない。
それらは、心が差し出した、軽く欺きやすい保証にすぎない。
数多くの虚飾に包まれた、あてにならない担保だ。
私がどれほど進歩したのか。
その判定は、死に委ねよう。
だから私は、怯えることなく、あの日に備えている。
舞台の仕掛けも、役者の化粧も、すべて取り払われる日だ。
その時、私は自分自身を裁くことになる。
私は、勇気あることを語っていただけなのか。
それとも、本当にそう感じていたのか。
運命に向かって投げつけてきた勇ましい言葉は、本心だったのか。
それとも、見せかけの芝居にすぎなかったのか。
世間の評価を取り除きなさい。
世間の評価はいつも揺れ動き、同じ人間を褒めもすれば、責めもする。
生涯をかけて積み重ねてきた学問も、いったん脇へ置きなさい。
これからあなたについて判決を下すのは、死である。
議論に勝ったこと。
教養ある人々と語り合ったこと。
賢者の教えから、美しい言葉を集めたこと。
知性に満ちた話し方を身につけたこと。
そのどれも、心の本当の強さを証明してはくれない。
最も臆病な人間でさえ、勇ましい言葉を語ることはできる。
あなたが本当は何を生きてきたのか。
それが明らかになるのは、最後の息をするときである。
私は、この条件を受け入れる。
その裁きを恐れはしない。
私はこう、自分自身に語りかけている。
だが、あなたにも同じことを語っていると思ってほしい。
あなたは私より若い。
だが、それが何になるだろう。
人生は、年齢の数だけで測られるものではない。
死がどこであなたを待っているのかは、誰にも分からない。
だから、どこにいても、その時を迎えられるようにしておきなさい。
私はもう筆を置こうとしていた。
だが、いつもの儀式を済ませ、この手紙にも旅費を持たせなければならない。*3
どこから借りてくるのかは言わなくていい、あなたは私がいつも誰の財布を頼りにしているか、知っているのだから。
もう少し待てば、自分の財布から支払えるだろう。
だが今回は、ひとまずエピクロス*4に貸してもらおう。
彼は言う。
「死を思いなさい」と。
あるいは、こう言い換えてもよい。
「死ぬことを、よく学びなさい」と。
一度しか使わないことを学んでも、意味がないと思うかもしれない。
だが、一度しか使えないからこそ、学び続けなければならないのだ。
自分が本当にそれを知っているかどうかを、前もって試すことはできない。
だからこそ、いつまでも学び続けるほかはない。
死を学ぶことは、自由を学ぶことである。
死ぬことを学んだ者は、奴隷であることを忘れる。
その人は、あらゆる外の力よりも上にいる。
少なくとも、その力の届かないところにいる。
牢獄が、その人に何をできるだろう。
見張りが、鎖が、閉ざされた扉が、何をできるだろう。
最後の出口まで、誰かに塞がれることはない。*5
私たちを縛っている鎖は、ただ一つである。
生への愛だ。
その愛を、捨てる必要はない。
ただ、それにしがみつく力を、少しずつ緩めておかなければならない。
避けることのできない時が来たなら、何ものにも引き止められないように。
いつか必ず受け入れなければならないことを、その時、静かに受け入れられるように。
Meditare mortem: qui hoc dicit meditari libertatem iubet.
死を学べ。それは、自由を学べということだ。
Vale.
注釈
*1 書簡Ⅻでセネカは、自分の別荘や身近な人々の変化を通して、老いがすでに目の前にあることを発見していた。書簡ⅩⅩⅥではさらに進み、自分は老いの段階さえ過ぎ、身体の崩壊が始まっていると語る。
*2 この箇所の原典には本文上の乱れがあり、解釈が確定していない。ここでは前後の論理に従い、「年齢のためにできなくなったこと」と「哲学によって望まなくなったこと」を区別しつつ、できなくなったことを嘆かずに済む理由を心が説いている、という意味に整えた。
*3 セネカは書簡の終わりに、短い格言を「旅費」や「贈り物」としてルキリウスへ渡すという比喩を繰り返し用いる。
*4 エピクロス。古代ギリシアの哲学者。セネカはストア派でありながら、学派を超えて真理を含む言葉として、エピクロスの格言をたびたび引用する。
*5 ここで語られる「出口」は、死を積極的に求めることではない。死が避けられないものだと理解することで、投獄や権力による脅迫にも、魂の自由までは奪わせないという古代哲学上の議論である。
原典ラテン語
XXVI. SENECA LUCILIO SUO SALUTEM
[1] Modo dicebam tibi in conspectu esse me senectutis: iam vereor ne senectutem post me reliquerim. Aliud iam his annis, certe huic corpori, vocabulum convenit, quoniam quidem senectus lassae aetatis, non fractae nomen est: inter decrepitos me numera et extrema tangentis.
[2] Gratias tamen mihi apud te ago: non sentio in animo aetatis iniuriam, cum sentiam in corpore. Tantum vitia et vitiorum ministeria senuerunt: viget animus et gaudet non multum sibi esse cum corpore; magnam partem oneris sui posuit. Exsultat et mihi facit controversiam de senectute: hunc ait esse florem suum. Credamus illi: bono suo utatur.
[3] Ire in cogitationem iubet et dispicere quid ex hac tranquillitate ac modestia morum sapientiae debeam, quid aetati, et diligenter excutere quae non possim facere, quae nolim, proinde habiturus atque si nolim quidquid non posse me gaudeo: quae enim querela est, quod incommodum, si quidquid debebat desinere defecit?
[4] “Incommodum summum est,” inquis, “minui et deperire et, ut proprie dicam, liquescere. Non enim subito impulsi ac prostrati sumus: carpimur, singuli dies aliquid subtrahunt viribus.” Ecquis exitus est melior quam in finem suum natura solvente dilabi? Non quia aliquid mali ictus <est> et e vita repentinus excessus, sed quia lenis haec est via, subduci. Ego certe, velut appropinquet experimentum et ille laturus sententiam de omnibus annis meis dies venerit, ita me observo et alloquor:
[5] “Nihil est,” inquam, “adhuc quod aut rebus aut verbis exhibuimus; levia sunt ista et fallacia pignora animi multisque involuta lenociniis: quid profecerim morti crediturus sum. Non timide itaque componor ad illum diem quo remotis strophis ac fucis de me iudicaturus sum, utrum loquar fortia an sentiam, numquid simulatio fuerit et mimus quidquid contra fortunam iactavi verborum contumacium.
[6] Remove existimationem hominum: dubia semper est et in partem utramque dividitur. Remove studia tota vita tractata: mors de te pronuntiatura est. Ita dico: disputationes et litterata colloquia et ex praeceptis sapientium verba collecta et eruditus sermo non ostendunt verum robur animi; est enim oratio etiam timidissimis audax. Quid egeris tunc apparebit cum animam ages. Accipio condicionem, non reformido iudicium.”
[7] Haec mecum loquor, sed tecum quoque me locutum puta. Iuvenior es: quid refert? Non dinumerantur anni. Incertum est quo loco te mors exspectet; itaque tu illam omni loco exspecta.
[8] Desinere iam volebam et manus spectabat ad clausulam, sed conficienda sunt aera et huic epistulae viaticum dandum est. Puta me non dicere unde sumpturus sim mutuum: scis cuius arca utar. Exspecta me pusillum, et de domo fiet numeratio; interim commodabit Epicurus, qui ait “meditare mortem”, vel si commodius sic transire ad nos hic potest sensus: “egregia res est mortem condiscere”.
[9] Supervacuum forsitan putas id discere quod semel utendum est. Hoc est ipsum quare meditari debeamus: semper discendum est quod an sciamus experiri non possumus.
[10] “Meditare mortem”: qui hoc dicit meditari libertatem iubet; qui mori didicit servire dedidicit; supra omnem potentiam est, certe extra omnem. Quid ad illum carcer et custodia et claustra? Liberum ostium habet. Una est catena quae nos alligatos tenet, amor vitae, qui ut non est abiciendus, ita minuendus est, ut si quando res exiget, nihil nos detineat nec impediat quominus parati simus quod quandoque faciendum est statim facere. Vale.