セネカという名を、静かに思い浮かべてみる。
紀元前4年頃、ヒスパニアに生まれ、ローマ帝国の政治家・哲学者・劇作家として生きたルキウス・アンナエウス・セネカ。権力の中心に身を置きながら、晩年には自らの死を命じられ、その最期は、静かな意志のうちに受け入れられたと伝えられている。
彼の言葉は、二千年を経た今も、どこかで脈を打ち続けている。
セネカの書に触れたのは、ずいぶん前のことになる。
開いたページから、古代の言葉が不思議な近さで立ち上がってきた。格調と日常のあいだを行き来するようなその訳文は、静かに、深いところへ沈んでいった。
その訳を手がけた中野孝次氏の眼差しは、今もどこかに残っている。ここに流れる言葉にも、ごく薄い痕跡として溶けているかもしれない。
セネカの新しい翻訳は、長いあいだ途絶えている。
堅牢な訳はあるが、現代の呼吸とは少し距離がある。要約や解説では、言葉の肌触りが薄れてしまう。
それならば、原典と先人たちの訳を辿りながら、今の言葉の温度で書き直してみようと思った。
「超訳」と呼んでいるのは、忠実さと自由さのあいだに立つためだ。セネカの問いに耳を澄ませながら、現代語の静かな呼吸を保つ。その試みとして、この部屋に置いている。
このセクションは、表通りには置いていない。
長い廊下の、いちばん奥にある静かな部屋。
recede in te ipse——自分の内側へ退け、とセネカは言う。
ここまで歩いてきた人に、その声がそっと触れればいい。